言葉って「記号」だ

曲がりなりにも言語専攻として、一度くらいは言葉について語ってみようかと思う。

 

今や若者言葉として一定の地位を築いた「エモい」という言葉。猫も杓子も「エモい」光景を切り取ってはインスタにあげる社会。そんな状況に「なんでもかんでもエモいって言うのはおかしい」なんて意見も見たり。

この「エモい」論争、個人的な意見を述べるなら、言いたいことが伝わるならエモいを使おうが使うまいがどっちでもいい。とりあえずはね。

だって、言葉って「記号」だ。赤くて丸くて知恵の実とか言われたりもする果物のことを、日本語では「りんご」と言うけれど、アメリカなら「apple」だ。この果物の識別記号が言葉であって、つまり意味が伝わるなら「りんご」でも「apple」でも何だっていい。共通認識さえあれば、それをなんと呼ぼうが問題はない。

 

「エモい」の話に戻そう。まず、「エモい」の意味とは何か。

エモい - Wikipedia

↑流石にweb辞書はまだなかったからwikiを引用

感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」などに用いられる。

つまりは言語化できない複雑な感情を一言で言えてしまうのが「エモい」なのだ。しかしここでふと思い出すのがこの言葉の存在。

ヤバイ(やばい)とは何? Weblio辞書

自身の心情が,ひどく揺さぶられている様子についていう。

そう、「ヤバい」って「エモい」とちょっと似てる。平成初期は「最近の若者は何でもかんでも「ヤバい」と言う」なんて言われてたりしたもんだ。さらにはこちら。

をかしの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

趣がある。風情がある。

「をかし」と「エモい」も似てない??つまり「いとをかし」って「超エモい」じゃない???「をかし」って古文やってて凄え出てこない??「をかし」ってもしかして昔の若者言葉なんじゃない???

つまり何が言いたいかって、「言葉」が変わっただけで、言ってることは今も昔も一緒ってこと。満点の星空を見て、「をかし」と言うのも「ヤバい」と言うのも「エモい」と言うのもみんな伝えたいのは似たような感情。やっぱり、言葉は記号だ。

 

ただ同じ「エモい」でも「田舎にある近所の子供が集まる駄菓子屋」と「夜、踏切を横切る灯りが点いた電車」ではその意味合いは異なってくるだろう。これは「エモい」という言葉がカバーする範囲が広すぎるが故に起こることだ。だから、「何でもかんでもエモいと言う」ことになってしまう。

しかし、この「何でもかんでもエモいと言ってしまう」ことを語用論的に考えると話者の気持ちも分からなくはない。「エモい」という言葉は内包する意味が非常に多い言葉だ。つまり、自分の意見を確定することなく述べることができる。「エモい」とさえ言っておけば、その言葉の真意は受け取り手が勝手に想像する。故に、その「エモい」という意見を否定されることは少ない。断定を避ける言い方を好む若者世代にとって、「エモい」という言葉は使い勝手の非常にいい言葉なのだろう。

 

そんな訳で巷では「エモい」が増えているのだろうが、勿論「エモい」だけはどうなのよと思う気持ちもわかる。断定しないこの言葉は、結局のところ話し手の真意を掴みにくい。使い勝手の良い言葉だけれど、そこを一歩踏み込んで表現することであなたの感じた気持ちを詳しく相手に伝えることができる!何がどう「エモい」のか、どう表現すればより詳細に伝わるのか、言葉にできない感情をなんとか言葉にしようとするのは難しいけれど、きっと楽しいはず。語彙が少なくたって、「エモい」の三文字で表せる感情に二、三行かけたっていい。言葉を選ぶ楽しさを、たまにでいい。思い出してみてほしい。