膨大な「過程」とただ一つの「結果」

友人のブログを読んでたらいいお題を貰ったのでそれについて書きます。「過程」と「結果」のどちらの方が重要かという話。

 

結論から先に書くと、私はどちらとも言えない派。そもそも「結果」は容易に「過程」に変わるから、明確に「結果」と「過程」に分けることが難しいという結論になったため。結果が結果のままでいられるのは、その人が死んだ時なんじゃないだろうか。

 

私の例を出すと、私は最初に入った高校を1年半くらいで辞めた。この時点で「高校を辞めた」は「結果」だったけれど、私は「高校を辞めた」ままにせずに別の高校に転入した。この時点で結果は過程に変わった。その後高校を卒業して大学に入学して卒業して就職した訳だけど、この「就職した」も結果のままで終わることはなくて、きっと「退職した」になる日が来る。そして退職した後はパートを始めるかもしれないし、主婦になるかもしれないし、余生を過ごすのかもしれない。とにかく死ぬまで結果は容易に過程に変わっていく。

そういう意味では、「結果」は「死」以外にない以上、膨大な「過程」は重要なのかもしれないし、逆に「死」というただ一つの結果のために全ての過程があると考えたら、その「結果」は非常に重要なものにも見えてくる。

とにかく、日常レベルでの「過程」と「結果」としたとき、結果はすぐに過程に変わるのでどちらが重要とも言い難いというのが私の結論。

 

議題とはずれるけど、良い過程を経て良い結果を迎えたいとは思いますよね。人間だもの。