推しが死なないことに自信のある私が鬼滅の刃を読んだ話

今話題の「鬼滅の刃」。

主要キャラでも必要とあらば死ぬとか、女性作者特有のなんちゃらとか、コミックスが品薄で高額転売が出てるとかなんか色々と耳にしてはいたこの作品。新しいジャンルに触れる気分じゃなかったので読んだことがなかったのだけど、書店で見かけたのでとりあえずあった3巻までを買って読んでみた。ら、これがなかなか面白い。

まだ6巻までしか読んでないので主要キャラらしいキャラは全然生きてるのだけど、我妻善逸が蜘蛛になりかけたあたりはこれどうやって助かるんだろうと少しだけハラハラした。

そう、今のところの推しというか、気になっているのは安定の主人公炭治郎と我妻善逸。まあ死なないだろうと高を括っているのだけどどうなんでしょうね。

大体、主人公とその良き友のようなポジションのやつにハマるのでまあ推しが死なない。過去唯一の死に推しは最初から実は死んでた。し、二度殺された。いや、オーバーキルか??オーバーキルだわ(私に対して)。

 

話を戻して鬼滅の刃

話がかなりシリアスな割にコミカルなシーンが多く挟まっていてとても不思議な感じがする漫画だなといった印象。シリアスとコミカルの割合は、真面目な話の時の銀魂くらいなんじゃないか?ってくらい。

だからなんだろう。多分全体としては悲しいお話(人が鬼となり、消える間際に人としての気持ちを思い出す)なんだけど、割とコミカルに話を運ぶからあんまり辛い気持ちにならない。上手くバランスを取っているというか。むしろ、コミカルな場面との差でシリアスな場面が綺麗に浮きだっているような気もする。コミカルを挟んじゃだめなとこ(無惨様が下の鬼たちをめちゃめちゃにするところとか)はちゃんとシリアスしてるから多分バランスが上手いんだと思う。多分。

この感じ、もしかしたら他にもあるのかなって思うけど、私の中では初めての感覚に思えて未だにほわほわした定まらない気持ちで読んでいるところはある。

あとあれだ!感情を描くのが上手い!上手くない??伊之助が絆されていく過程とか、鬼たちの悲しい過去とか、なんかキラキラしてんだよな。凄く薄いガラス細工のような描き方をする人だと思う。

また本屋行った時に続きがあったら買おうかな。死なないといいな、気になるキャラ。

 

ポケモンソード 感想2

調子に乗ってまた書きます。

現在進捗は3個目のジムをクリアしたところ。相変わらず本文はネタバレに配慮しないので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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全体のストーリーがようやく始まったといった感じ。敵対勢力のエール団や各ライバルとの絡みが出てきたけど、まだまだ大筋は分からないまま。今回も箇条書きで書いていきます。

 

・バウタウン

今作の港町!

これまでだと大抵港町からなみのりしてどこかへ行ったり、なみのりして港町へ来たりすることが多かったけど、今回は陸路でこの町へ。砂浜はなく船が止まる港だけがあるあたりからして、観光地としてというより水産業で栄えた町なのかな。港のベンチに座ってみる風景が素敵な町。

ジムリーダーはルリナさん。カジリガメのダイマックスわざがはちゃめちゃに痛い。ナメてかかってはいけない。ルリナさん辺りで気付いたけど、今回ボール投げるモーションが主要キャラは全部違うの凄い。サンムーンでもそういう要素あったけど、それとは段違いに良くなってる。キャラの個性を感じる素晴らしい演出。

あとローズ委員長のイベントあったけど、この人私服だとめちゃめちゃ腹出てるな。もうそれが気になって話が頭に入ってこない。入ってこないがとりあえずコイツは怪しい。昔から権力者は怪しいって相場が決まってるんだ。

 

・鉱山

すっごいキラキラ。

今作の洞窟はワイルドエリアが広いからかだいぶ短め。昔はポケモンの洞窟といえば暗くてフラッシュ必須で迷路じみてたけど、最近の洞窟はフラッシュ要らないことのが多いよね。通路的役割をしていることが多い気がする。

今作の鉱山も通路的役割が大きいけど、ビジュアルが凝ってて単なる通路になってないのがいい。トラバサミみたいなマッギョが隠れてるのも面白い。でもこのトラップに引っかかるのトレーナーだけよな??

ガラル鉱山で走り去ってくトロッゴンも面白い。こういうギミックはシンボルエンカウントならではだね。

 

・カブ戦

エンジンシティについては感想1で書いたので割愛。ていうか、開会式やったとこがジムだと思ってなかった。あのマーク炎のマークだったんやね。

開会式があった場所で戦うのって結構熱い展開だよね。カブさんのセリフにもあったけど、ここが「最初の関門」と思うとこの場所でやることに意味が出てくると思う。最初開会式で来た時から、手持ちも変わってレベルも上がって進化もして、成長した状態で同じ土を踏むのはなんとも感慨深い。

さてカブ戦。これまでの2人が対面から現れたのに対して、カブさんは主人公の隣から入場するってのに何かしらの意味を感じる。カブさんの、チャレンジャーと対等であろうという意思なのかなとか考えてしまう。

カブさん、物腰が柔らかめな割に状態異常やターン技を使う戦法とか、激しい指示モーションとか、二面性あるなと思ったらリーグカード見て納得。昔は割と悪よりなことしてた。そういう過去を特に説明することなく感じさせるこのデザイン素晴らしいな。リーグカードとか見ない人は見ないでしょ。今作、そういう文字で説明せずに画で語るみたいなことが多くてめちゃいい。

 

・お見送り

エンジンシティから出発する時、3人が来てくれるの普通に嬉しい。ジムリーダー同士の絡みって昔の作品ほどないけど、今作はBW以上にそういうのがありそうでなんか楽しみ。

 

 

これでようやく門前払いされたナックルシティに入れる!冒険初期、そこそこ遠くて頑張って行ったら町に入れてすらくれなくて悲しかったからな…

ポケモンソード 感想1

「鉄と感想は熱いうちに打て」が座右の銘なので、久しぶりにブログを書きます。

ちなみに現在1番目のジムをクリアしたところまで進みました。

本文はネタバレに配慮しないので、注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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発売して1週間経った今、本当にたくさんの人がポケモンをプレイしていて、いちファンとしてとても嬉しい。これまでポケモンをやってなかった人とか、○年ぶりだ!って人もいて、そういう人たちにも楽しく遊んでもらえるんだなと、我が事のように嬉しい。

実際、これまで遊んできて、今作のポケモンかなり楽しい。まだまだストーリーがどう展開していくかも分からない段階なのに楽しいのは、細かいところにも気を配ったゲームになってるからじゃないかなと思う。

話したいことがたくさんあるし箇条書きにしようかな。本当にたくさんあるんだよ。

 

・OPムービー

ゲーム起動してムービーが始まった瞬間、そのぬるぬるっぷりと綺麗さに驚いた。なんだかんだ赤緑からピカブイまで一通り遊んできて、ピカブイの時にも映像の綺麗さには驚いたけど、今回はさらに進化しているような気がする。もうアニメじゃん。

 

・ハロタウン

背景がめちゃめちゃに、いい。いや、ハロタウンに限らずどこも町は背景が素晴らしくいいんだけど、家から出て坂道を降りていく辺りの遠景が素晴らしすぎる。だって空を鳥ポケが飛んでいくんですよ。これまで以上に、ポケモンという生き物と一緒に暮らしてる世界なんだなーっていうのがよく分かる。そうだよ、ポケモンの世界では鳥ポケが空飛んでんだよ。って再認識させてくれる。

あと、ハロタウンは畜産の町だから、町中の至る所にウールーがいるってのがまた、一緒に暮らしてる感があって好き…。

 

・まどろみの森

霧深い立ち入り禁止の森。私がここをプレイしたのが屋外だったこともあって、霧がめちゃめちゃに反射して通常フィールドは本当に何も見えなかった。多分また行く機会あるだろうし今度は屋内で遊ばないとな。

ここで今回のパッケージポケモン、ザシアンが出てきて戦闘になるけど、何しても攻撃が通らない演出がいい。この演出の仕方も、ちゃんと体がすり抜けてる感じになってるし、名前も???だし、どんどん霧が濃くなっていくし、得体の知れない何かに襲われた!感じが非常にあってめちゃテンション上がった。発売前から「説」が「伝」されてない「伝説ポケモン」ってことで話題になったけど、これは「説」が「伝」されてないですわ…。しかしそれがいい。

 

・相棒選び

これはふせったー でも書いたけど、これまでは主人公とライバルがそれぞれポケモンを貰って1匹余るのが慣例(BWは除く)だったけど、今回は現役チャンピオンが引き取ってて、しかもそれが相性有利のポケモンって、どちゃくそ熱くないか?????だってこれチャンピオン戦でこの選ばなかった子と戦うんでしょ??主人公たちと同時期にトレーナーに貰われて、強さを求めるチャンピオンに育てられて、最後に立ちはだかるって、なんてニクい演出なんだと思った。本当にそうなるかは知らんけど。

 

・はじめてのバトル

これもふせったーに書いたけど、バトル中にライバルのホップが「きゅうしょなんてすごいな!」とか「もう相性を理解してるのか!」とか言って、急所とか相性って概念を自然に教えてくれるの凄い。ずっとポケモンやってたら当たり前の知識だけど、きっと初めてやる人は知らないことで、それをいかにも説明らしくするんじゃなくて、キャラの発言に組み込むの賢い。

 

・ワイルドエリア

私はここで開会式にも行かず数時間を過ごした。

ポケモン本編だと過去1広いシームレスマップなのではないだろうか。広い。とにかく広い。はやくじてんしゃがほしい。

これまでのポケモンだと、序盤の草むらには弱いポケモンしかいなかったけど、ワイルドエリアには強いポケモン弱いポケモン両方がいて、同じ種族でもレベル差があるのがめちゃくちゃリアル。きっと強いポケモンや進化後のポケモンをリーダーとする群れなのかなとか考えられてとても楽しい。エリアの環境によって似たタイプのポケモンが集まってるのもリアル。あと、小さいポケモンは草に隠れて見にくいのも凄くいい。今まではわからなかった主人公の目線を自分の体験として感じられるデザイン、素晴らしい。普通に考えて、何のポケモンがいるかちゃんと分かった方がゲームとしては親切だけど、それをやめてリアルさを取ったのが本当にいい。

 

・そらとぶタクシー

今作ではかなり序盤に手に入るそらとぶタクシー。つまりは「そらをとぶ」。

これまではある程度冒険が進んで、行けるところが増えて、ちょっと他の町にも戻りたくなった辺りで手に入るのが通例だった(ひでんマシンの順番的にはなみのりそらをとぶだった)のが、ひでんマシン要素としては真っ先に手に入る。

いや、英断だわ。

だってワイルドエリアどちゃくそ広いもん。この広さを戻るのぶっちゃけめんどいもん。ありがとうゲーフリ。

 

・エンジンシティ

都会!!

電車乗って大草原抜けて辿り着く都会。ここまででもうだいぶ冒険してる。というか、大草原抜けて電車も乗ってさらに奥にあるハロタウン、ほんと田舎ね。こんな田舎から出てきた現チャンピオン、そら地元のヒーローにもなるわ。みんなリザードンポーズするわ。

話戻してエンジンシティ。街の入り口から奥に伸びる大通りと、そこから分岐する道の構図がなんとも都会らしい。くねった道はなくて、画一的に整備された感じがまさに都会。壁に貼られたポスター?看板?が「らしさ」を出していて好き。こういう小物のひとつひとつがなんか丁寧で気分があがる。

 

・開会式

はい、ムービー!かっこよ!

これまではジムリーダーを最初からお披露目するなんて一切なくて、街のモブとかから聞いた情報からどんな奴なんだと想像するのが楽しかったけど、今作では最初に全部見せちゃう!なんなら軽く紹介もする!でもそれがいい!

今作ではジム戦がある種の見せ物として存在している設定のようなので、挑戦者を打ち倒すジムリーダー達がカリスマ的存在として人気があるのはよく分かるし、大々的に紹介されているのもとてもよく分かる。

昔のポケモンバトルやジム戦って、こう、チャンピオンを志す人たちの間では盛り上がっているけど、そうじゃない人たちはその界隈のことをそこまで知ってるわけじゃないイメージがあったのだけど、今作はジム戦が一大コンテンツとして地域の人たちの中にあって、老若男女みんなが熱中してる!って感じがして好き。現実でいうところのサッカーと同じ立ち位置なんだろうなと思う。というか、まあ、元ネタはその辺よね。きっと。

とにかくそんな感じなので、ジムリーダーたちが紹介されるのはとても理にかなっていると思う。てか、全員がスタジアムに入ってくるところまーじでかっこよすぎんか???各々キャラが立っているし、その動作である程度こんな感じの人かなーとかも分かって、その人に実際に会いにいくのが楽しみになるし。ジムへのモチベあがる。

 

・着せ替え要素

今回、着せ替え要素がマジでやばい。過去1。こういう自分のものを自分で選ぶ要素の原点はルビサファのひみつきちで、着せ替えの原点はXYだと思うんですけど、今回はその種類もデザインも本当に素晴らしい。女主人公でプレイしているので男主人公のことは分からないけど、髪も服も組み合わせが本当に多くて嬉しい。前髪と後ろ髪を分けたのは神。

 

・ターフタウン

はじめてのジム戦。ウールーが可愛い。今作ではリーグカードでジムリーダーの設定が読めるけど、ヤローくんの「相手が弱いと本気になれないから1番最初のジムにいる」って設定がいい。弱いから最初なんじゃなくて、実は強いんだぞっていう設定いい。私が戦ったヤローくんは本気じゃないんだな…。ストーリーの展開では本気のヤローくんとか見れるんだろうか?もしそれなら最高だな。

ターフタウン自体は、地上絵とジムで栄えている町感があっていい。これらがなかったら町があったかも怪しいくらいの田舎で、ジム以外だと、観光客とトレーナー向けと思われるポケセンと花屋しかないのがいかにもそれっぽい。町中がロープで仕切られてて、道以外のところが歩けないようになってるのも観光地っぽいよね。

 

今回はここまで。

またゲーム進めたら感想描くかも。

蛙がいた井に井戸はなかった

言葉について考えたことをメモしておく記事。

 

今回は「井戸」について。井戸と聞いてみんなが思い浮かべるイメージは多分これ。

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屋根が付いてたりなかったり、滑車がついてたりなかったり、蓋がしてあったりなかったりすると思うけど、共通のイメージとしてあるのは石でできた筒状のものが地面から飛び出ているようなもの。

でもこれって、元々は「井戸」じゃなくて「井」だったんじゃない??

 

井の中の蛙大海を知らず」という言葉がある。ここでいう「井」は井戸のことで、井戸の中という狭い世界にいる蛙は大きな海のような広い世界を知らないという意味。つまり、「井戸」は昔は「井」と呼ばれていたということ。

では、そもそも「井戸」は元々何を指す言葉だったのだろうと考えてみると、思い当たるものがある。

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それがこれ!この、井戸の蓋の部分!

今ではこれのことを井戸蓋と呼ぶみたいだけれど、昔はこれを「井戸」と読んだに違いない。

 

じゃあ何故今は蓋を含めた全体を「井戸」と呼ぶのか。

多分いくつも理由はありそうだけど、その中のひとつに、「短い単語は他の字を足して分かりやすく、言いやすくする」というものが考えられる。要は「井」だけだと言いにくいし、音だけで聞いたときに分かりにくいから、「井戸」を「井」全体を指す言葉にして分かりやすくて言いやすい形にしたという説。

色でも、赤や青はそのままなのに、黄だけは「黄色」とわざわざ「色」をつけて呼んだりする。それはきっと、一音よりも三音の方が収まりが良くて言いやすいから。そして他の言葉との混同を避けるため。

 

【結論】

今の「井戸」はそもそもは井戸蓋のこと。言葉の変化により、蓋だけを指す言葉が全体を指す言葉へと変化した(のかもしれない)。

 

膨大な「過程」とただ一つの「結果」

友人のブログを読んでたらいいお題を貰ったのでそれについて書きます。「過程」と「結果」のどちらの方が重要かという話。

 

結論から先に書くと、私はどちらとも言えない派。そもそも「結果」は容易に「過程」に変わるから、明確に「結果」と「過程」に分けることが難しいという結論になったため。結果が結果のままでいられるのは、その人が死んだ時なんじゃないだろうか。

 

私の例を出すと、私は最初に入った高校を1年半くらいで辞めた。この時点で「高校を辞めた」は「結果」だったけれど、私は「高校を辞めた」ままにせずに別の高校に転入した。この時点で結果は過程に変わった。その後高校を卒業して大学に入学して卒業して就職した訳だけど、この「就職した」も結果のままで終わることはなくて、きっと「退職した」になる日が来る。そして退職した後はパートを始めるかもしれないし、主婦になるかもしれないし、余生を過ごすのかもしれない。とにかく死ぬまで結果は容易に過程に変わっていく。

そういう意味では、「結果」は「死」以外にない以上、膨大な「過程」は重要なのかもしれないし、逆に「死」というただ一つの結果のために全ての過程があると考えたら、その「結果」は非常に重要なものにも見えてくる。

とにかく、日常レベルでの「過程」と「結果」としたとき、結果はすぐに過程に変わるのでどちらが重要とも言い難いというのが私の結論。

 

議題とはずれるけど、良い過程を経て良い結果を迎えたいとは思いますよね。人間だもの。

応援できないファンはファンじゃない

度々主語のでかいことを言いたくなる私。大それたタイトルをつけたが、大したことはない。好きな活動者を応援できなくなってしまったという話だ。

ネットの普及によって、一般の人が手軽に何らかの「活動者」になれる昨今。様々な活動者に触れ、ファンになったりならなかったりするのだけれど、活動者の活動内容も時には移り変わるもので。ボカロPがいつの間にか全国的に人気な歌手になっていたり、大物演歌歌手が歌ってみた動画を投稿したり。これらはかなり極端な例だけど、大なり小なりそういうことってある。多くの場合は喜べるものがほとんどだけど、たまにそうじゃない時もある。

例えば(これはあくまでも例であり、モデルはいないのだけれど)、元々俳優志望の男Aがいたとする。Aは俳優になるのが夢で、小さい頃から夢を追ってきたけれどなかなか上手くいかなかった。一方でAには笑いのセンスもあった。Aは友人に誘われて芸人の道を選び、そこで大成した。テレビへの露出が増え、培ってきた演技力を生かしたコントは人気を集めた。そうして話題となったAには俳優としての仕事もやってきた。芸人としては高い演技力は評判となり、俳優としての仕事が増え、機会が増えたことで演技は一層磨きがかかった。Aには芸人としての仕事よりも俳優としての仕事の方が増え、ネタ番組はおろかバラエティ番組でも姿を見ることは減っていった。

ここで、ファンである私の登場である。私はこのAを芸人として好きになり、ファンになったとする。Aが元々俳優志望であり、芸人となってからも演技の仕事をしたがっていたことは知っている。何故ならファンだから。けれど、それ以前に私は芸人としてのAを好きになったわけで。そして残念ながらAの演技は好みではないのだ。とても残念だけれど。いくらファンでも、好きでないものは推せない。それは嘘になってしまう。Aには芸人としての仕事をしてほしい。いっそ俳優として評価されなかったら良かったのに、そう考えてしまったらもう私はAのファンではない。どうしようもない老害でしかない。

活動を応援できないファンはファンじゃない。

 

まあこれはあくまでも例なので、Aという人はいないのだけど、似たようなことが割とあって自分のダメさに辟易するというところにこの話は収束する。

別にその活動者が嫌いになったわけではなく、ただ自分の望むその人ではなくなったというだけのことで、変わらずその人は好きなのだけれど、でも応援できなくなったらそれはもうファンではないなと思う次第。

ただ、活動者が求めているのは多くの場合私個人ではなく「ファン」なので、私がファンである必要はない。活動者を支えるのは新しいファンに任せて、ファンでなくなった老害は潔く身を引こうと思う。

死と夏

5月も半ばを過ぎて、「初夏」と呼ばれる季節になった。朝晩は涼しいけど、日中は少しじめっと暑い。

漠然と死を感じる季節だなあと思う。祖父が亡くなったのは8月だったけど、祖母が亡くなったのは夏ではないし、そういう意味での死ではなくて。なにかいるような、そんな気持ちになるのは夏だと思う。

じめじめとした空気、生暖かい風がそう感じさせるのかもしれない。怪談話でも何か出てくるときは生暖かい嫌な風が吹くものだ。もしくは、体にまとわりつく湿気がなにかいるようなそんな気持ちにさせるのかもしれない。もしくは、梅雨時に咲く代表格である紫陽花が「死」のイメージを思い起こさせるのかもしれない。(紫陽花には毒性がある)そもそも、死者が帰ってくるとされるお盆は夏にあるし。

ともかくこれからの時期は、そうした死に纏わるイメージが増えるような気がする。だからどうということはないのだけれど、自分1人ではない気がするのがなんだか嬉しいような、そんな気持ちになったり。そんな、初夏の1日。