応援できないファンはファンじゃない

度々主語のでかいことを言いたくなる私。大それたタイトルをつけたが、大したことはない。好きな活動者を応援できなくなってしまったという話だ。

ネットの普及によって、一般の人が手軽に何らかの「活動者」になれる昨今。様々な活動者に触れ、ファンになったりならなかったりするのだけれど、活動者の活動内容も時には移り変わるもので。ボカロPがいつの間にか全国的に人気な歌手になっていたり、大物演歌歌手が歌ってみた動画を投稿したり。これらはかなり極端な例だけど、大なり小なりそういうことってある。多くの場合は喜べるものがほとんどだけど、たまにそうじゃない時もある。

例えば(これはあくまでも例であり、モデルはいないのだけれど)、元々俳優志望の男Aがいたとする。Aは俳優になるのが夢で、小さい頃から夢を追ってきたけれどなかなか上手くいかなかった。一方でAには笑いのセンスもあった。Aは友人に誘われて芸人の道を選び、そこで大成した。テレビへの露出が増え、培ってきた演技力を生かしたコントは人気を集めた。そうして話題となったAには俳優としての仕事もやってきた。芸人としては高い演技力は評判となり、俳優としての仕事が増え、機会が増えたことで演技は一層磨きがかかった。Aには芸人としての仕事よりも俳優としての仕事の方が増え、ネタ番組はおろかバラエティ番組でも姿を見ることは減っていった。

ここで、ファンである私の登場である。私はこのAを芸人として好きになり、ファンになったとする。Aが元々俳優志望であり、芸人となってからも演技の仕事をしたがっていたことは知っている。何故ならファンだから。けれど、それ以前に私は芸人としてのAを好きになったわけで。そして残念ながらAの演技は好みではないのだ。とても残念だけれど。いくらファンでも、好きでないものは推せない。それは嘘になってしまう。Aには芸人としての仕事をしてほしい。いっそ俳優として評価されなかったら良かったのに、そう考えてしまったらもう私はAのファンではない。どうしようもない老害でしかない。

活動を応援できないファンはファンじゃない。

 

まあこれはあくまでも例なので、Aという人はいないのだけど、似たようなことが割とあって自分のダメさに辟易するというところにこの話は収束する。

別にその活動者が嫌いになったわけではなく、ただ自分の望むその人ではなくなったというだけのことで、変わらずその人は好きなのだけれど、でも応援できなくなったらそれはもうファンではないなと思う次第。

ただ、活動者が求めているのは多くの場合私個人ではなく「ファン」なので、私がファンである必要はない。活動者を支えるのは新しいファンに任せて、ファンでなくなった老害は潔く身を引こうと思う。