ハスラーくんとぼく

1ヶ月半くらい前に初めて自分で車を買いまして、車中泊なるものをしてみているのでその感想を書くなどする。

小学生の頃にして以来やったことがなかった車中泊。せっかく自分の車を買ったことだし、ちょうどGWで時間があったのでやってみた次第。目的地は県内の観光牧場。ぶっちゃけ日帰りもできる距離だけど、流石に疲れるし他に寄りたいところもあったのでやってみることに。

昔家族で車中泊をした時は、いつもと違う寝心地が不快でよく眠れなかった記憶があるけれど、あれから車のシートの性能が良くなったのか、はたまた私の身体が強くなったのか、今のところ特に不便は感じない。特にハスラーくんは前部座席が180度になるまで倒れるので、後部座席と合わせると160cmの私は普通に足を伸ばして横になれる。すごい。軽自動車でこれができるってのが既にやばい。もしかしたら他の車でもそうだったりするのかしら。車には詳しくないので分からないけれど。

目隠し用のシェードはフロント部分だけ買った。リアの方は値段の問題と納期の問題で断念。300円くらいのペラペラシェードで代用したけど、いずれはこっちも純正のを買いたい。もう純正はつけるのが楽!吸盤も吸い付きいいし、はめ込むようにして取り付けるから落ちにくいし。まあでもとりあえずを凌ぐには300円のシェードで十分だったとも言える。

お布団の代用で厚手の毛布を持ってきてみたけど、厚手のやつにしておいてマジで良かった。これは時期にもよるだろうけど、今日は厚手で大正解。まだまだ朝晩の冷え込みが激しいね。特にこの山の方は。次来る時はコンパクトになる寝袋でもいいかもしれない。

枕はあってもなくてもいいかもしれない。今日は持ってこなかったけど、このままでもまあ寝れそう。でも、後部座席の方に頭を向けてるから、腰よりも頭の位置が下になっててちょっと気になる。枕があればこれも多少は良かったのかもしれない。

今日は道の駅で一晩を明かすのだけれど、この道の駅、なんと温泉がある。銭湯じゃなくて温泉。自噴してるらしい。数時間前に入ってきたけど気持ちよかった。こういうどこに車を停めるかってのも重要なんだろうな。停めちゃいけないところも勿論あるし。明日起きたらもっかい売店とか見てこよう。

また明日起きてみないと分かんないけど、今のところは思ったよりも快適に過ごせてる。また遠出する時は車中泊も選択肢の1つにしてもいいのかもしれないな。

令和元年

元号が変わるなんてそうそう経験できないことだと思うので、今感じたことを書き残しておいてみたりする。

つい1時間くらい前に令和になった訳だけど、まるで年末みたいな改元の瞬間だった。テレビではカウントダウンが行われていて、神社には初詣を待つ人たちが列を成している。SNSでは年越し蕎麦を食べる人がいて、改元と同時におけましておめでとうの言葉が飛び交う。みんな初めてのことに戸惑いながらも、めでたい雰囲気だけはひしひしと伝わってきた。

かくいう私も、改元の30分程前からリビングへ降り、改元の瞬間をテレビを見て過ごしていた。穏やかな瞬間だった。平成生まれの私は昭和から平成への改元の時を知らないが、母が言うには相当な自粛ムードだったという。それはそうだ。天皇が亡くなったわけだから。おめでたい雰囲気になる訳がない。だから上皇様は凄いことをなされたのだと思う。長年悲しい事柄だった改元を一新されたのだから。

次の改元が何年後のことになるか分からないし、その時に私が生きているかも分からないが、もし生きているとすればまた今回のような穏やかな改元を迎えられたらと思う。また年末のようになるのだろうか。はたまた今とは違う様子になっているのだろうか。楽しみに思えることは素晴らしいことなのだと思う。

バッドエンドを悪いエンドにしたくない

またTRPGの話をしようと思う。今日はシナリオを書く上で個人的に意識していきたい話。

マルチエンドが魅力の1つのTRPG。当然グッドエンドがあればバッドエンドもある。ホラー系のシステムにとって、バッドエンドとは即ちキャラロストであったりもする。ゲームをプレイする者として、バッドエンドは所謂ゲームオーバーでもある。そりゃあ行きたくはないエンドだ。

グッドエンドを目指して、惜しくも力足りずバッドエンドになったなんて経験、TRPGをしていたらいつかは経験することだ。クリアできない悔しさやキャラロストの悲しさの矛先がシナリオへ向いてしまうなんて話も聞いたことがある。そりゃあPLが辛いのは重々承知だ。ぼくだってバッドエンドへ行った日にはしばらくそのことを引き摺る。

でもGMだって辛い。出来ることならクリアしてほしい。その気持ちが溢れて、救済措置を出しすぎちゃったりなんて話も聞いたことがある。でもそれってどうなんだろう。救済措置を与えすぎたシナリオはもはや出来レースになってしまう。それがシナリオのテーマならそれはそれでいいのだけど、そうじゃないならやり過ぎだ。難しすぎるのも楽しくないけれど、ヌルゲーだってつまんない。

じゃあどうするか。

 

バッドエンドを悪いエンドにしなければいい。

 

シナリオ全体の難易度調整をすることは前提として、これをする。何言ってんだと思うかもしれないけど、とりあえず聞いてほしい。

確かにキャラは死ぬ。けれど、その最期が盛り上がるように、面白い物語になるように書く。キャラクターたちからすれば最低な物語も、読み手にとっては最高の物語というのは往々にして存在する。悲恋の物語が評価されるのってそういうことなんじゃないかな。だからバッドエンドはうんと悲しく書く。出来るだけシナリオの主題に絡めて、いろんな表現を使って。

そうやって、悔しかったけどでも物語としてはいい感じになったよね!と言ってもらえたらもうそれは最高の褒め言葉だと思ってる。

 

 

バッドエンドは必ずしも「悪い」エンドじゃない

言葉って「記号」だ

曲がりなりにも言語専攻として、一度くらいは言葉について語ってみようかと思う。

 

今や若者言葉として一定の地位を築いた「エモい」という言葉。猫も杓子も「エモい」光景を切り取ってはインスタにあげる社会。そんな状況に「なんでもかんでもエモいって言うのはおかしい」なんて意見も見たり。

この「エモい」論争、個人的な意見を述べるなら、言いたいことが伝わるならエモいを使おうが使うまいがどっちでもいい。とりあえずはね。

だって、言葉って「記号」だ。赤くて丸くて知恵の実とか言われたりもする果物のことを、日本語では「りんご」と言うけれど、アメリカなら「apple」だ。この果物の識別記号が言葉であって、つまり意味が伝わるなら「りんご」でも「apple」でも何だっていい。共通認識さえあれば、それをなんと呼ぼうが問題はない。

 

「エモい」の話に戻そう。まず、「エモい」の意味とは何か。

エモい - Wikipedia

↑流石にweb辞書はまだなかったからwikiを引用

感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」などに用いられる。

つまりは言語化できない複雑な感情を一言で言えてしまうのが「エモい」なのだ。しかしここでふと思い出すのがこの言葉の存在。

ヤバイ(やばい)とは何? Weblio辞書

自身の心情が,ひどく揺さぶられている様子についていう。

そう、「ヤバい」って「エモい」とちょっと似てる。平成初期は「最近の若者は何でもかんでも「ヤバい」と言う」なんて言われてたりしたもんだ。さらにはこちら。

をかしの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

趣がある。風情がある。

「をかし」と「エモい」も似てない??つまり「いとをかし」って「超エモい」じゃない???「をかし」って古文やってて凄え出てこない??「をかし」ってもしかして昔の若者言葉なんじゃない???

つまり何が言いたいかって、「言葉」が変わっただけで、言ってることは今も昔も一緒ってこと。満点の星空を見て、「をかし」と言うのも「ヤバい」と言うのも「エモい」と言うのもみんな伝えたいのは似たような感情。やっぱり、言葉は記号だ。

 

ただ同じ「エモい」でも「田舎にある近所の子供が集まる駄菓子屋」と「夜、踏切を横切る灯りが点いた電車」ではその意味合いは異なってくるだろう。これは「エモい」という言葉がカバーする範囲が広すぎるが故に起こることだ。だから、「何でもかんでもエモいと言う」ことになってしまう。

しかし、この「何でもかんでもエモいと言ってしまう」ことを語用論的に考えると話者の気持ちも分からなくはない。「エモい」という言葉は内包する意味が非常に多い言葉だ。つまり、自分の意見を確定することなく述べることができる。「エモい」とさえ言っておけば、その言葉の真意は受け取り手が勝手に想像する。故に、その「エモい」という意見を否定されることは少ない。断定を避ける言い方を好む若者世代にとって、「エモい」という言葉は使い勝手の非常にいい言葉なのだろう。

 

そんな訳で巷では「エモい」が増えているのだろうが、勿論「エモい」だけはどうなのよと思う気持ちもわかる。断定しないこの言葉は、結局のところ話し手の真意を掴みにくい。使い勝手の良い言葉だけれど、そこを一歩踏み込んで表現することであなたの感じた気持ちを詳しく相手に伝えることができる!何がどう「エモい」のか、どう表現すればより詳細に伝わるのか、言葉にできない感情をなんとか言葉にしようとするのは難しいけれど、きっと楽しいはず。語彙が少なくたって、「エモい」の三文字で表せる感情に二、三行かけたっていい。言葉を選ぶ楽しさを、たまにでいい。思い出してみてほしい。

「好き」を発信する

「好き」を発信する、なんて書き方をするとなんだか大層な事に見えるけど、つまりは好きなものに好きって言うこと。

簡単だけど、意外としなかったりする。SNSでかっこいいイラストが流れてきて、ふぁぼだけする、とかね。僕だってやりがち。

でもそこを踏み込んで「これ好き」って口に出すのはかなり大事なんじゃないかと思う。これすると何がいいって、

 

1.自分の好きなことを知ってもらえる

2.好きがより伝わる

 

そのままかって感じだけど、思ってるよりも効果は高いと思う。特に2の方。

ふぁぼだけでも当然受け取る側は嬉しいけど、そこにさらにコメントがあると嬉しい。それが「○○が好き」というだけの簡単なものであっても。勿論、どこがどう好きなのか、詳細があればもっと嬉しい。

だからみんな「好き」を発信してほしい。たとえ私が知らないことでも、発信してくれたことがきっかけで知ることもできる。

「推せる時に推せ」なんて言うけれど、これはマジでそう。連載が終わるとか、作者の逝去とかもあるけど、自分の熱量がある時に話しておいた方がいいってのもある。今の気持ちは今しかないもので、時間が経つと良くも悪くも変わってしまう。だからこそ、今の、君の、「好き」を発信してほしい!

 

 

 

てか、単純に好きなこと話すのって楽しくない?愛を届けろ〜

仕事を終えて、職場を出る。日はとっくに落ちていて、正面の道路をライトを点けた車が横切っていく。近くの田んぼから聞こえる声はバッタだろうか。片側一車線の広くはない道路を、近くの駐車場まで歩いていく。月5000円の下が砂利の月極駐車場、そこからは線路を挟んでコンテナ置き場が見える。野球スタンドにあるみたいな大きなライトが、煌々と辺りを照らしていて明るい。

車に乗り込んでエンジンを掛ける。朝のラジオの延長をCDに切り替えて、ギアをドライブに入れる。すっかり春だが、朝晩はまだ少し寒い。手放せないブランケットを膝に、お気に入りのバンドの新曲を聴きながら暗い町を進む。朝に比べると空いた道。片側三車線程に広くなった道をまっすぐ約三十分。車庫に車を止める。

車庫から玄関まで、数メートルの間にふと見上げた星空の名前は分からない。冬よりも少し見にくくなったそれを背に家へと入った。

 

そうしてご飯を食べて風呂に入って、こうしてブログを書いている。梅雨の時期には早いので、カエルの声はまだ聞こえない。風呂場から微かに聞こえるのは母親がつけているラジオの音だ。時折、国道を走るトラックの音がここまで聞こえる。

ぼくの「夜」はこんな感じ。きっと、みんなの中の「夜」はまた違うんだろう。そんなことを考えながら眠りにつく「夜」だ。

だから僕は音楽を辞めた

買いました!

ヨルシカ3rdアルバム「だから僕は音楽を辞めた」!!

 

発売日は4/10、つまり昨日。当日は十中八九残業だろうとたかを括って、Amazonで予約してたのが今日届いた!!昨日聴きたかったけど仕方ないね!GW前で物量増えてるんだろうな。ありがとうヤマトさん!!

どうせならと、CDは買えてなかった1stアルバム「夏草が邪魔をする」も買ったので、予想よりも大きめな段ボール。開けると中には夏草のCDと茶色の小箱が!

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事前に限定版の仕様は調べていたけど、このワクワク感やばいぞ!ビニールを剥がして、袋からそっと箱を取り出す。その拍子に中身がカラカラと小さな音を立てて、それがまたワクワクする。こんな気持ち久しぶりだ。

 

箱の中身は公式では詳しく語られていなかったのでここでも詳しくは語らないけれど、とにかく、いい。僕は開けてすぐにホワァってなったし、見ていくうちにヌォワ……ってなった。もっと落ち着いて見たいから、また曲を聴きながらゆっくり見ることにする。でもとにかくいい。最高。ヨルシカ好きは前提として、今回のアルバムに収録されてる「藍二乗」のPVの感じが突き刺さった人はこの限定版買って損はないんじゃないかなと思う。

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↑最高に「良い」ジャケット

 

もっとよく聴きたいけど、明日も仕事なので寝る準備をしなきゃ